こんにちは、新米パパの「がんきん」です。
息子が生まれて3ヵ月、現在夫婦で育児休暇を取得しながら、家族3人の生活を送っています。
「2人で育児すれば余裕なんじゃない?」
そう思っていたのは育休に入る前まで。実際には、理想と現実のギャップに戸惑い、毎日が試行錯誤の連続です。
でもそんな中で、夫婦の関係性や価値観も大きく変化し、「一緒に育児する意味」を実感するようになりました。
理想と現実のギャップに驚いた育児のスタート
最初の1ヵ月は本当に大変でした。
僕も妻もほとんど寝られず、会話はもっぱら「おむつ替えた?」「授乳は?」「泣いてるよ!」の連続。
「一緒に育休を取ってるのに、なんでこんなに余裕がないんだ?」
と、自分でも戸惑う日々でした。
育児より先に壁になった「共同生活」
実は、僕たちは結婚から2年間“週末婚”だったんです。
育児と同時に本格的な同居生活が始まったわけですが、ここにも落とし穴がありました。
家事のやり方も生活リズムも違うので、ちょっとしたことで衝突が絶えませんでした。
- 洗濯の干し方が違う
- 食器の置き方が気になる
- 寝かしつけのタイミングが合わない
- ご飯の準備
「これは育児の問題じゃなくて、生活のすり合わせから始めなきゃダメなんだ」と、ようやく気づいたのは、2人して心身ともにボロボロになってからでした。
家事分担表が夫婦の火種に?実は逆効果だった話
「平等」にこだわってギスギスした初期の頃
「家事育児は平等にやろうね」
そう決めて、分担表を作ったのがスタート。最初は順調に思えました。
でも次第に、「これ俺の担当じゃなかった?」「昨日も私がやったよ?」と、不満が積もっていきました。
平等なはずの分担表が、“相手の粗探し”のツールに変わってしまったんです。
分担をやめて“助け合い”に変えた理由
ある日、妻がつぶやきました。
「分担って、“助けない理由”をつくっちゃうんだよね…」
その言葉が、僕の中で強く残りました。
そこからは、「誰がやるか」よりも「いまどっちが余裕あるか」で動くように変えました。
手が空いてるほうが洗濯を回す、泣いてるときに近くにいるほうが抱っこする。
そんな柔軟さが、うちには合っていたんだと思います。
ケンカから生まれた、わが家だけの育児ルール
察しない・我慢しない・でも攻めない
うちの育児ルールは、たった3つです。
- 察しないこと
- 我慢しないこと
- 攻めないこと
「疲れてるよね」と察するより、「疲れてるからお願い」と言葉にすること。
我慢して爆発するより、「今日は無理」と正直に伝えること。
失敗を責めるより、「どうすれば次うまくいくか」を一緒に考えること。
言葉にしてみればシンプルだけど、これがあるかないかで、夫婦関係の温度が全然違うんですよね。
「うまくいかない日」の乗り越え方
正直、うまくいかない日の方が多いです。
でもそんな日は、無理に元気を出すより、あえて“疲れてることを認める日”にしています。
夜は簡単な丼モノにして、お風呂は交代制、寝かしつけのあとは静かにテレビを観るだけ。
それだけでも、十分“リセット”になるんです。
子育てだけじゃない、夫婦というチームの成長
「一緒に育児してる」と言うと、子ども中心の話に思われがちだけど、
実はそれ以上に“夫婦というチームの育成”でもあるんだと思います。
・お互いの苦手が見える
・得意が自然と分かってくる
・任せることと頼ることのバランスを知る
これは、一緒に修羅場をくぐったからこそ得られた感覚です。
育児って、夫婦にとって最大の共同プロジェクトかもしれません。
赤ちゃんをあやすのはママが得意
寝かしつけはパパが得意
やっていく中で得意が分かります。
一緒に育児をすることで得られた本当の価値
育休を取っていなければ、僕はたぶんこの数ヶ月で子どもの顔をまともに見られなかったと思います。
「泣く」「笑う」「声を出す」——その全部を、妻と一緒に見られたことは、何ものにも代えがたい経験です。
そして、それ以上に気づいたのは、
「妻の大変さを“理解”ではなく、“体感”できた」こと。
これがあるかないかで、夫婦の関係性って根本から変わると思っています。
まとめ:夫婦で育児は大変。でも、それ以上の喜びがある
夫婦で育児をするのは、確かに大変です。
ケンカもするし、すれ違いもある。疲れて無言で1日が終わる日だってあります。
でも——
「この人とだから乗り越えられる」
「この時間を一緒に過ごせてよかった」
そう思える日が、少しずつ増えていくのも事実です。
僕たちは、これからもたくさん迷って、ぶつかって、でも一緒に笑って育児を続けていきます。
ケンカもするけど、やっぱり一緒がいい。
それが、今の僕たち夫婦の答えです。
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