「ちょっとだけ、外の空気を吸ってきてもいいかな?」
ソファに座ったままの妻が、ぽつりとそう言った。
育休を2人で取って、毎日一緒に赤ちゃんを育てていたはずなのに——
その言葉に、僕はハッとしました。
“ふたりでやってるつもり”だった。でも、気づいていなかった。
妻は無意識に「メインプレイヤー」で居続けていたことに。
僕は“手伝う側”のスタンスから、いつの間にか抜け出せていなかった。
「行っておいで。今日は俺が見るから」
そう言ったとき、妻が見せたあの少し泣きそうな笑顔。
あれが、僕の育児の意識を変えた分岐点でした。
「ふたり育休」は、育児を“共有”する魔法の時間——のはずだった
僕たちは、子どもが生まれるタイミングで2人とも育休を取りました。
「ふたりで乗り越えようね」って笑い合っていたし、実際、毎日一緒にオムツを替えて、一緒に夜泣きで起きて、ミルクも作って、洗濯物も干していた。
…のはずだった。
でも気づけば、僕は“やるべきこと”を妻に先に聞いて、それをこなしていただけだった。
スケジュールも、泣いたときの対応も、なんだかんだで妻がリードしていた。
つまり僕は、共同作業者ではあっても、責任者ではなかった。
ふたり育休という“並列のはずの関係”が、見えない差を生んでいた。
妻をひとりで外に送り出した日、育児が“自分ごと”になった
「今日は俺ひとりで見るから、ちょっと出かけてきて」
そう言った自分に、内心ビビってた。
いままでは“ふたりチーム”でやってた。今度はガチのワンオペ。
赤ちゃんと二人きりの5〜6時間なんて、経験がなかった。
結果は?
見事にやられました。
- ミルクの時間、気づいたら30分過ぎててギャン泣き
- オムツ替えの途中で足バタバタ→おしっこ噴射
- 寝かしつけの抱っこで汗だく→置いた瞬間に再泣き
- 自分の昼食は、おにぎり一個を片手でかじっただけ
時間の流れ方が、まるで違った。
“何もしていないようで、常にフル稼働”な状態が、どれほど心と体を消耗するか、ようやく理解した。
僕が本当に知った、「ママが必要としていたもの」
妻が帰ってきたとき、僕は「おかえり」より先に、心から「ありがとう」と言った。
初めて、自分の言葉に重みが乗った気がした。
そして気づきました。
ママが欲しかったのは、“手伝う人”じゃない。
「私がいなくても大丈夫だよ」って信じてくれる人だった。
その日以来、育児のスタンスが変わった。
一緒に育児してるんじゃない。お互いが、主役になれるように支え合う育休に、ようやくなった気がする。
「ママに休んでほしい」と思うすべてのパパへ
僕自身、最初は「ママの方がうまくできるし…」とどこか遠慮していた。
でも、それこそがママに“育児の責任全部乗せ”をしていた原因だったんだと、今なら思う。
ママが休むことは、ママだけのためじゃない。
ママの休息は、パパに育児を“引き受ける覚悟”をくれる時間でもある。
「今日は俺が見るから、出かけてきなよ」
その一言が言えるだけで、家庭の空気は大きく変わる。
まとめ
ふたりで育休を取ることは、ただ一緒に時間を過ごすだけじゃない。
「育児を共有する」覚悟と信頼を、夫婦で試される時間だと思う。
そして、ワンオペを実際に体験して初めて見えるものもある。
ママがどれだけすごいか。育児がどれだけ繊細か。そして、自分もちゃんとできるという小さな自信。
あの日の僕のように、もし「ママに休んでほしい」と思っているパパがいたら。
迷わず言ってほしい。「今日は任せて」って。
その一言から、家族のかたちが変わるかもしれません。
育児は楽しむものですね!
読んでいただきありがとうございました。
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